孤児院の子

一部、読みやすさを考慮し、改行を入れさせて頂いた部分がございます。(熊猫)


全ての始まりは、あの夜のこと。
綾がたまたま、トイレに行こうと夜中に部屋を出た時の事だ。
ここの長であり、皆の親代わりでもある菜々子の部屋から明かりが漏れていた。
綾はそっと近寄り、聞き耳をたてる。
どうやら、知らない男と話しているようだった。
「ーあと1年で5人になるんですよ?
そしたらもう、給付金出ませんし、ここも潰さないといけないんですって。」
「分かっています。ですがその1年で子供が入ってくるかもしれませんですし、どうかお願いします…」
綾は逃げだした。
自分のべッドに飛び込み、隣で寝ている子を起こさないよう、声を出さずに泣いた。
ここは、桜こどもの家という、孤児院だ。
子供の数は6人で、綾は最年長の14歳になったばかり。
しかし規則で、15歳になるとここを出ないといけないことになっている。
そして、たった今聞いた話では、自分がここを出るとここが潰れてしまうということだ。
ここは菜々子が個人で経営していて、小さいし、いつも赤字だ。
しかし子供のできない体で、夫を失った菜々子にとって、ここはかけがえのない大切な場所だ。
綾はそれを知っていたし、自分にとっても家であるここを無くしたくはなかった。
綾はそのまま夜通し泣き続け、考えた。
どうしたら、ここは潰れずに済むだろう、と。
翌朝、ふらふらとしながらも起き、菜々子の元へ向かった。
「おはよう、よく眠れた?」
いつものように優しいが、どこか元気がなく、自分と同じように目のまわりが少し腫れていた。
菜々子さんも、やっぱり泣いていたんだ…
綾はその日1日を考えることに使い、自分の答えを出した。
考えるだけでも恐ろしい。
果たして、自分にできるのだろうか。
そうも考えた。
しかし、これしかないのだ。
綾はその日の消灯時間後、窓からそっと抜けだした。




自分の持っている服で一番、ラフで露出度の高く、大人っぽい服を着て、お小遣い全てを使い、切符を買う。
しかし綾は、片道の切符しか、買うことが出来なかった。
それでも綾は別に気にするでもなく、そのまま電車に乗った。
終電前の電車。
人こそまばらだが、少ない乗客の視線はほとんどが綾へと向けられた。
こんな時間に、あんな格好で、目立たない方が難しいだろう。
それでも綾は、ずっと窓の方を向いて動かなかった。
そのまま2時間。
綾がおりたのは、歓楽街だった。
人気のない駅で、深呼吸をする。
ぶんぶんと頭を振り、もう一度。
暗い駅の隅から、恐怖が湧き上がってくるようだったが、なんとか耐えて。
そして綾は歩き始めた。
~~~~
怪しくネオンが光り、そこらじゅうに下品な笑い声が響く。
自分の鼓動がそれに絡み、吐き気が襲ってきそうになる。
男達は綾を見て、ひそひそと話し始めたり、大声で笑いだしたりした。
「おいおい、嬢ちゃん。こんな時間に何してんだぁ?」
「俺らが食っちまうぞォ!ヒャッハッハッ」
暗がりから、色々な声が飛んできた。
蒸し暑いのに、ぞくぞくと。
鳥肌が止まらない。
吐いてしまおうか、と立ち泊まった時。
とうとう、後ろから声をかけられた。
顔は悪いわけでもない。
それでも、相当遊んでいそうな男。
「こんな時間にそんな格好してるってことはさぁ…何?誘ってる訳?そうしか見えないんだよね、さっきから。」
「そうだけど、何?」
綾はできるだけ冷淡に、言い放った。
男は少なからず、驚いていた。
「これでもあたし、14なの。高くつくわよ。それでもやるの?」
強く。自分を弱く見せないように。
出来るだけ大きな声で、周りにも聞こえるように。
「…おもしれぇ、やってやるよ」
男はニヤリと笑い、綾の肩に手をまわした。
綾は今にも泣き叫びながら帰って、菜々子の胸に飛び込みたかった。
今、それができたら、どれだけいいだろう。
それでも綾は、黙って男と共に近くのホテルへと入っていった。




それは、苦痛以外の何ものでもなかった。
男が自分に触る。
愛撫する。
舐める。
自分の快楽だけを望み、何も気持ち良くない。
綾はただ、べッドシーツを握り、耐えた。
そして小さな窓が明るくなった頃、男はやっと綾から離れた。
汗でぐしょぐしょになりながらも、涙を1つも見せない彩を満足げに見つめ、代金だ、と。
彩に数万年を握らせた。
そして唯一持ってきていた上着をはおり、逃げるようにして駅へと戻り、再び電車に乗った。
家に着いたのは朝で、綾はそれから少しだけ仮眠をとり、普段通り、菜々子の元へ向かった。
「おはよう、よく眠れた?」
昨日よりはましで、でもどこか悲しげな挨拶。
今の綾にとっては、ことさら悲しく聞こえた。
いつも通りに菜々子の手伝いをし、小さな子の面倒を見、夜には抜け出し、毎晩、違った男と寝る。
何度も自殺を考えた。
どうして自分はこんな事をしているのだ、と。
しかしすぐに、菜々子の顔が浮かぶ。
施設のみんなの顔が浮かぶ。
そして綾はやはり、唇を血が滲むまで噛み締めて、我慢する他、ないのだ。
結局綾は、これを1ヶ月間、続けた。
肉体的にも精神的にも、限界を通りこし、とうとう綾は、倒れてしまった。
稼いだお金は、全て交通費と学費へと費やしていたので、当然、病院代も薬代もない。
しかし、それでいいのだ。
菜々子はずっと、綾を心配してくれる。
しかし目が少し不自由なので、看病は自分より少し年下の子たちだ。
それから1週間。
体調不良の続く中、綾は自分に生理がこなくなった事を感じた。




それから、綾はずっとつわりに悩まされた。
菜々子はそんな綾を見て、なんとか薬代を稼ごうとしたが、綾は止めた。
そんなことをして菜々子まで倒れてしまったら、それこそここは潰れてしまう。
どちらにせよ、自分は妊婦だ。
薬などは飲んではいけない、大切な体なのだ。
綾は自分に宿っているであろう命を撫で、ずっとベッドの上で過ごした。
それでも、あの1ヶ月間の事を考えると、今はとても幸せだと思えた。
自分の弟妹のような年下の子たちが毎日看病してくれ、菜々子はずっと隣にいてくれる。
しかしそれに反し、綾のつわりはお腹が見て分かるほど膨らむまで続いた。
~~~
ちょうど憶測で数えて6ヶ月目に入った頃。
綾は施設で2番目に年上の、12歳の巧を1人だけ部屋にいれた。
「どうしたの?綾ねえ」
無邪気な瞳が自分を覗き、説明するのが嫌になってくる。
「巧…今から話す事、絶対に誰にも言わないって約束できる?」
巧は当惑しきった表情で聞いた。
「菜々子さん…にも?」
「うん、誰にも」
迷いの色を隠せない巧の瞳に、綾の真剣な眼差しがうつる。
巧は、こんなに真剣で、怖い綾を見たことがなかった。
「う、うん、分かった。絶対言わないよ」
そういって小指を差し出し、綾と約束を交わした。
綾はもう一度巧を見つめ、おもむろにずっとかけていた布団をめくり、巧に思っているよりも大きくなった腹部を見せた。
「綾ねえ、これって……」
綾はこくりと頷き、巧の手をそこにのせた。
「赤ちゃんだよ。あのね、今から話す事、静かに聞いてね」
そう言って、綾はあの夜の事、そして自分の考えを話し始めた。
多少は省いているが、巧にとっては十分に衝撃も大きいだろう。
綾が話している間、巧は少しも動かなかった。
話し終えてからしばらくして、巧が口を開いた。
「だから綾ねえが赤ちゃん産んで……拾った…ってことにするの?」
「そうなの。すっごく大変かもしれないけど…手伝ってくれる?」
巧は今にも泣き出しそうだ。
しかしゴシゴシと目をこすり、笑顔になった。
「もちろん手伝うよ!綾ねえの頼みなんか断れないしね。
それにボクだって、ここが潰れるなんて…絶対に嫌だもん」
そう言った巧は、今までで1番強く見えた。
「…ありがとう」
綾は巧の頭を撫でた。
巧も、ニッと笑った。
そのとき。
「あっ…」
2人の声が重なった。
「今さ…動いたよね!」
「うん!やった!
よかったね、綾ねえ!」
自分の子供の血の半分は、あのときのいずれかの男の血だ。
それを覚悟してのことだったけれど、自分の子供が動いた。ただそれだけで、こんなにも嬉しいのだ。
そして2人で、色々話し合った。
どこで産むことにしようか。
何が必要だろうか。
ボクは綾ねえとすぐに連絡の取りあえる所にいよう。
菜々子さんにバレないようにしなきゃね…と。
結局、巧はこれから1人で綾の看病をするよ、と宣言し、綾の部屋で寝泊まりをすることになった。
そして産む場所は、屋根裏部屋となった。
ここは、古くからいる綾と巧しか知らない部屋で、昔誰かが使っていたのか、布団などがあり、いる物を持っていけば完璧で、すぐに決定した。
最後には、2人で楽しみだね、などと言い合うくらいにまでなり、菜々子が部屋に入ってくるまで2人はずっと話し続けた。
そして11月の終わり、綾は9ヶ月になった。




どちらかというと北国であるここは、すでにはらはらと雪がちらついてくる。
巧はさっき学校に行ったので、何もすることがない。
綾はただ、窓の外をぼうっと眺めていた。
そのとき、ふと、チクリと小さく腹部が痛んだ。
綾はトイレに行こうとゆっくりと起き上がる。
もうかれこれ、風呂と用をたす以外には半年以上もベッドから起き上がっていない。
そのため、歩くだけでも体中がダルくなる。
綾はお腹を抱えるようにしながら立ち上がり、誰もいないことを確認する。
そしてこそこそとトイレへと入った。
「何…これ?」
一苦労して自分の下着を下げると、血のようなものがついていた。
生理のようなものだろうか…?
それはおしるしであったのだが、綾が知っている訳もなく。
特に気にすることなく終わった。
しかしそれからベッドに横になっても、不定期に痛みがあった。
あきらかにおかしい、と思ったのは、夕方になった頃だ。
不定期だった痛みは定期的になり、じわじわと。しかし着実に。
大きくなってきていた。
ちょうど臨月に入るのを、巧の冬休みと合うようにしておいたのに…
そんな日に限って、巧は友達の家で夕食を取り、帰りは9時になるのだという。
どうしようか、と起き上がり、たった今再び痛み始めた腹部に手をやった。
そのとき、こんこん、と、音がなる。
綾は急いで布団に潜り、どうぞ、と言った。
「綾ねえ!ご飯だよー」
そう言って入ってきたのは、まだ幼稚園に通う子だった。
「あ、ありがと」
少し喋り方は不自然になるが、なんとかなりそうだ。
「綾ねえ、いつ病気治るの?」
ふと、その子が聞いてきた。
ズキンと強い痛みが来たが、顔に出さぬよう、こらえて。
「多分…もうすぐ治るよ、大丈夫。心配…してくれて、ありがとね」
そう言って綾は、その子の頭を撫でた。
そして、この子達の為に、きっと無事産むんだ。と、再び決意を固めた。
「お皿は巧に頼むから、もう来なくて平気
ありがと、ね…」
「うん、おやすみ!綾ねえ!」
「おやすみ」
ぱたり、とドアが閉まる。
はぁ、と、溜めていた息を吐きだした。
安堵した途端、少し痛みが強くなった気がしたが、構っていられない。
綾は近くにあったメモに、こう記した。
「巧へ
予定より早まったみたい
忘れものはないようにね。」
これで、なんとか通じるだろう。
陣痛が引くのを見計らって綾はよろよろと立ち上がり、大きな熊のぬいぐるみをべッドに潜らせた。
そしてドアに耳を当て、誰もいないのを確認する。
そしてそっとドアを開け、静かに歩き始めた。




「ふ、ふぅぅ。ん…あいたた…」
間隔はまだまだ広いが、陣痛はまた襲ってきた。
綾はまだ、階段半分程度のまでしか進んでいない。が、そこに座り込んだ。
これまで半年以上ろくに動いていなくて、妊婦で、陣痛を迎えている。
そして普通の階段の3倍ほど長くなっていて、急になっている。
しかも真っ暗なので、手探りだ。
これほどまでに登りづらい階段は、そうそうないだろう。
早く巧が帰ってこないだろうか…
といっても、時計が見えなくて、今が何時なのか全く分からない。
1時間以上登っていた気もするが、それもよく分からない。
汗がポタリ、ポタリと、階段へと落ちる。
11月なのに、狭い階段でやけに蒸し暑く感じられた。
ぐっと腹部が締め付けられ、一瞬力が抜ける。
そしてその腕で、階段へと手をついた。
と、そのとき。
「あッ…!」
階段と手の平に滲む自分の汗で手を滑らせ、少し下の踊り場まで転がってしまった。
「いッ…」
ズキン、と、一度に体中に痛みが走る。
それでもなんとか立ち上がろうとしてみた。
しかし、上手く力が入らない。
どうやら、足を痛めてしまったようだ。
「ん…ッつ…」
今の衝撃で、陣痛も進んでしまったようだ。
暗い階段に綾の荒い息遣いだけが響き、今さら怖くなった。
今でも、十分痛い。
これ以上、痛くなるのだろうか。
スカートの下から下着に手を入れ、確認してみる。
部屋を出た時よりは、確かに開いている。
しかし、聞いていた10cmにはまだまだ遠いと感じた。
そのとき。
ギィ…と、古い扉が軋む音が下から聞こえ、明かりが漏れてきた。
さっきの音が聞こえてしまったのだ。
もう駄目だ…
綾はそう思った。
無駄だと分かっていながらも、出来る限り体を縮めて。
しかし、答えは違っていた。
「綾ねえ…いる?」
聞こえてきたのは、巧の声だった。
「巧?…よかった…」
安堵のため、うっすらと涙が滲む。
巧はすぐに綾の元へやってきた。
相当驚いているようだ。
「綾ねえが気になってちょっと早く帰ってきたんだ。
そしたら…ビックリした
予定はまだだったんでしょ?
でもなんでここに座ってるの?」
「ん…ちょっと動けなくて…
ゴメン、手伝って」
「う、うん」
綾は巧の肩を借り、なんとか立ち上がった。




「はぁ……ふっ…はぁぁ…」
やっと屋根裏部屋についたのは、それからしばらくしてからだった。
足も痛めてしまった綾はともかく、
そんな綾を支え、色々な重い荷物(タライ、カセットコンロ、その他)を背負っている巧にも階段は負担が大きく、
思っていたより時間がかかってしまったのだ。
「はぁ、やっと、着い、たぁ…綾ねえ、平気?」
「ん…何とか…いたた…」
綾は巧に支えられ、ゆっくりと(巧がずっと前から敷いておいた)布団へ腰をおろした。
そして手探りでランプを探し、マッチで火をつける。
六畳ほどの狭い部屋が、ポっと明るくなった。
そのあとに綾の隣に巧も座り込み、はぁーと、一息。
「ふぅ…巧がいてくれなきゃ、今頃大変だったよ」
と、綾が苦笑いをする。
巧はそんな、と、頬を赤らめた。
「それでなんだけどさ…」
綾はとたん、言いにくそうな顔になる。
「う、うん、分かってるよ…
うん、えと…うん。」
動揺が隠せないようだが、仕方がない。
「えと、じゃあ……いくね?」
「う、うう、うん…」
綾は顔が明らかに紅潮していくのが分かった。
きっと巧もそうなのであろう。
綾はゆっくり、ゆっくり、ワンピースの裾をめくった。
「………」
2人の間に、気まずい沈黙が流れる。
巧は、見たこともないほど真っ赤になっていた。
そしておもむろに正座になったのを見て、綾は吹き出した。
「笑わないでよぉ…
しょ、しょうがないじゃん!
べ、別に…変なコトなんか…考えてないよっ!」
「分かってるって、…ふふッ。あ…それで、何cm?」
「あ、え、えっとね…ちょっとまって…」
巧は自分の持ってきた大きなリュックを漁り、袋に入った定規を取り出した。
「いつどうなってもいいように、消毒しておいたんだよ」
と、ちょっと自慢げにそれを見せた。
消毒ウェットティッシュで丁寧に手をふき、そっと定規を子宮口に近づける。
「んーと…4cmくらい…かな?」
「4cm…まだまだだね…あ、ッつぅ…またきた…」
巧がいそいそと綾の後ろにまわり、腰を揉む。
「あ、ありがと…」



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