THIRTEEN


「……」

「……無言にならないでよ……」

「……だって」

だって。……そう言ったまま、吉樹(ヨシキ)はまた黙り込んだ。俯いて、眉間に皺を刻んで。
窓の外は11月下旬の空のいろ。放課後の教室。

「…………ガキとか……そんないきなり言われても……」

「私だっていきなり知ったの……!」

もごもごと言う吉樹に腹が立って、私はつい叫ぶみたいに言ってしまう。
吉樹のことかっこいいって思って近付いたこともあったけど、今は自分のそんな感性を疑う。
今は、ただ腹が立つ。

「堕ろすんだろ……?」

ようやく上目遣いで私を見たと思ったら、そんなことを言う吉樹。
私は両腰に当ててた手を一瞬離して、声を裏返らせた。

「は?!」

「は、じゃなくて。当然堕ろすんだよな……? 俺金無ぇから、出せねえけど」

「……あんた、何言って……」 

「彼女でもねえ奴に子供出来たとか言われた男として、当然の発言」

どこで覚えたのか、そんな言葉ばっかり流暢に並べてんじゃねえよクソ男。
自分で自分の言葉に勇気付けられでもしたのか、吉樹は薄く笑った。

「そうだよ堕ろせよ。そんで堕ろす前になら中出しし放題だからー……、」

下劣な笑みを吉樹が向けてくる。

「何よ……?!」

「ちょっと堕ろす前にまた俺と会え。友達も連れてきてやっから」

「ふざけんな!」

こいつの願望は聞かなくてもよくわかった。私を、友達と回してヤる気だ。
中学も途中の今、堕ろす以外の選択肢なんてないと確信してるらしい吉樹。
本当に腹が立って。私の中にいるはずの、小さな……小さな赤ちゃんには吉樹の言葉なんか聞かせたくなくて。
吉樹の言葉を覆すようなことを、赤ちゃんにも聞かせたくて。私は抑えた声で言う。

「誰が堕ろすなんて言った? ……私は生むから」

「!」

怯えた吉樹の表情を私は見逃さなかった。睨み付ける。

「生む。絶対」




クラスメイトの吉樹と出会ったのは、中学の入学式でだった。
クラスの女子が騒いでいたのは覚えてる。曰く、かっこいいとか何とか。
そんな女子達に優越感を持ちたくてちょっと頑張って、その夏には吉樹の彼女ポジションに私はいた。
いい感じに伸ばして染めた濃い茶色の髪と私の着た浴衣は思いのほか似合っていたみたいで。
お祭りに一緒に行った吉樹と、気分が上がってラブホに行った。夏休み開始早々のことだった。
それでも私も最初は、コンドーム、のこととかは頭をよぎって。
……でも着いて少しして呑まされた缶のお酒で、意識がぐるぐるで。
気がついたらベッドに押し倒されていた。
はだけた私の浴衣と、吉樹の獣みたいなあそこと、終わってすごく痛かったこと。
帰り道、歩いている最中に少しずつ、白く汚れていく下着。
してる最中のことじゃなくて、それだけを覚えてる。

2ヶ月経って、小5に始まって順調だったはずの生理がぱったり止んでることに気付いた。
今はたまたまで、そのうち来るだろう。そう思い続けて生理のないまま更に2ヶ月。
怖くなってきて、でも親にも言えなくて。
まさかね、と思うのと、でも、の狭間で。息苦しい思いばかりの毎日。
生理のあるはずの日には、何もついてない生理用品を丸めて家のトイレのゴミ箱に捨てて疑われないようにした。

全部脱いで姿見で映しても、おなかの辺りは前と別に変わらない気がして。
だから、大丈夫だと思いたくて調べてみた。妊娠検査薬。出たのは、陽性のマーク。
それが昨日のこと。


昨日までのように今日も普通に学校に行って。放課後に吉樹を誰もいない教室に呼び出して。
またラブホでしたみたいにヤれるとでも思ったんだろう吉樹は、私の話に顔色をなくした。

「う、う、生むって、お前……!!!」

「何よ」

「ば、馬鹿じゃねーの? 育てたり、とか、出来るわけねーだろ」

震える声で、吉樹が私に強がる。うるさい。
……赤ちゃんに、聞かせたくない。

「私は普通に学校にも来るし、生んでからも何とかして育てる」

「……」

「……生む前も後も、あんたに迷惑は掛けないよ。ほっといてくれていい」

陽性が出た瞬間から何となく、私のおなかの中の一部分が熱を持ってる気がしてる。
そっとその上から手を当てた。

「今までありがとう。吉樹に彼女だとは思ってもらえてなかったとしても、楽しかった」

吉樹の顔を見ずにそう言ってすぐ、私は教室を出た。


帰り道で私は泣いた。




もう、誰を頼る訳にもいかなかった。

12月に入って。もう、4~5ヶ月目だろうか。
授業中の吐き気や、吉樹と目が合った瞬間にすぐ逸らされることや、貧血とか。
そんなことに毎日少しずつ慣れていく。
病院には一度も行っていない。
行って大騒ぎになるのなんてどうしても、絶対に嫌だった。

少しずつ少しずつ、硬く膨らむおなか。
中学の制服が、ダサくて良かった。
制服のデザイナーも、まさか中学在学中に妊婦が出るなんて思って作ったわけじゃないだろうけど。
体型が隠れるデザインは、今の私には凄く有り難かった。


共働きの親は土日もなく朝も帰宅も遅いから、食事は自分で勝手に用意して摂る。
だから殆ど、親と顔を合わせることがない。小学生の頃からそうだったし、これからもきっとそうだろう。
そして昔から、ごく稀に私の寝ようとする頃に母が部屋に来て、ベッドにいる私と一言二言交わして出ていく。

「メリークリスマス、美衣」

今日もそうして母は来た。
私は胸元まで布団を掛けて、膨らみがバレないようにしてノックに応じる。

「今日は早いんだね」

「そりゃあね、クリスマスだもの。どう、何か変わったことはない?」

「全然」

お決まりの母の質問に、お決まりの私の答え。
私、おなかに赤ちゃんがいるよ。もうすぐ5ヶ月。
そんなことは表情にも出さずに、いつものように首を振る。

「年末年始も出張ばっかりで、またしばらく会えないかもしれないけど。元気にしてるのよ」

「うん」

頷く私の頭を二回撫でると、母は部屋を出ていった。
……次に両親とちゃんと会うのはいつだろう。
眠る直前の頭で、ぼんやり考える。このペースだと半年強くらい後、かな。
その頃には、この子はもう生まれてるかもしれない。
その時のことは……生まれてから、考えよう。




冬休みが明けてしばらく経って。また裸で、改めて姿見に映してみる。
検査薬を使う直前の姿とは、全然違う体が鏡の中にあった。
私の体。よくおっぱいの張った、大人の体だった。
おなかは、これならまだ制服で隠れるような大きさ。多分6ヶ月ぐらいの、おなか。
両手で撫でていると、中で少し何か動き出したのがわかった。私の心臓が跳ねる。
赤ちゃんが……動いた……!


そして3月がやってきた。
ようやく、私は13歳になった。
妊娠がわかってから私は、クラスの誰とも殆ど口をきかないようにしていた。
下手に詮索されないように。……でももしかしたらもうみんな吉樹に聞いて知ってて、遠巻きに楽しんでるだけなのかもしれない。
わざわざ自分に不利なことを公表するメリットはないはずだけど、あいつなら面白半分で言いかねないから。
そうやって私はクラスメイトから距離を置いて、どんな授業も行事もそれなりにやって過ごした。
普段は厚着して、辛うじて目立たなくして。体育は、体操着を限りなく緩く着て。
毎日軽く蹴ってくる赤ちゃんと、そうして毎日生きている。


……年度が変わって。クラスも新しくなったはずなのに、吉樹はまた同じクラスで。
彼女を作って、露骨にいちゃついている。授業中でもいつでも。
それに対して私は。できるだけ大人しくして、移動の時は必死でおなかを隠して歩いて。
おなかの皮膚には何本も、縦線ができた。赤ちゃんがどんどん育っていく。


そして、6月が来た。

私のおなかは、客観的に見てもすっごく大きいと思う。
予定日なんていつなのか知らないから、今すぐにでも陣痛になってもおかしくないのかもしれない。
学校では、私の姿を見て何か囁き合わない人がいないほどだった。
きっともう、完全にバレてる。でも休むのは、何かに負けたような気がしてどうしても嫌で。

今日も私は学校に来て、授業を受けた。朝方ちょっとだけ生理っぽい感じだったけど、ホントちょっとだけだったから気にしないで来て。
幸いずっと一番後ろの席で、教師は誰も私を気にしてない。
6時間目の途中、数学の教科書を眺めていたら、ふと体が強張った。
ごくりと唾を呑み込む。
……まさか。




まさか、……まさか。そう思いながらも、ますます体の中が締まっていくような感覚は打ち消せない。
……すぐになんて、まさか今すぐに一気に生まれたりなんてしないよね……!
汗が、体中を濡らす。呼吸を無理やり落ち着かせる。
そして異変は収まって、私はまた授業に意識を向けた。
よかった、まだまだなんだ……!

そうほっとしたのも束の間のことで。
5分も経たないうちに、私はまた同じような状態に襲われる。
ああ、今声が出せたらどんなに楽だろう……!!
必死に大きく息をして、でも周りからは気にならないようにまた辛さを鎮める。
わかった。これが陣痛なんだ……。

これが授業の残りの時間、ずっと何度も続いて。
清掃の時間も、箒だけは持って……でもあまり動けずに歯を食いしばって過ごして。

また並べられた自分の席にいると、今、また更に陣痛が、来た。


「痛いッ……!!」

誰もいない教室で、声を上げてしまう。
特に下の方のおなかが、ずっと私に力をぶつけてくる。
必死で撫でるけど、さっきみたいには収まってくれない。
こんなに熱い呼吸をするのなんて初めて。きっと今の私は、体温上がってる。

「ああっ……!!!」

大丈夫、私以外学校には誰もいない。いたとしてもここからはかなり遠い職員室。
上体は机にうつ伏せて、左手を額に当てて。右手でおなかを抱え込む。

「あぁぁっ……はあああああっ…………!!!」

制服のスカートはそのまま、下着だけは外して。
でもそれ以上動けなかった。
出るがままに声を上げて、痛さと闘う。

ねえ、生まれようとしてるのね……?

「っ―――――……!!!」

痛みを堪えた力のためか、脚の間から水のようなものが出た。たくさん。
上限だと思っていた痛みが、その拍子に更に強まる……!

「ああああああ―――――――ッ……!!!!!」

声が裏返るのも気にしてられない。ほてる顔と、酷い痛さ。
少しでも楽な姿勢を探して、椅子から滑り降りた。
椅子の背にしがみ付いて、しゃがむ。
早く、早く生まれてきて……!

「はあ、はあっ、はぁぁッ、ぁあ――――――」

長く、力を込める。おなかの。赤ちゃんに。会えるように。
息が苦しくなって、もう一回細かく呼吸して。
また痛い波が来る。合わせて息を止めて、また必死でおなかに力を込めた。

「っッ――――――――!!!!!」

あ、
頭が。
痛い中を、少しずつ赤ちゃんの頭が、通ったのが微かにわかった。

「っ、ッッ――――――――――――!!!!!!!」

完全に赤ちゃんの、頭が。出た。……ああ。もう少し。あと少しで。
赤ちゃんの頭に手を添えた。ホントに、出てる。頭。
自分の体のするがままに、もっと力を込めながら、何度も呼吸をする。

「はっ、はっ、ぁッ、ッ――――――――……………!」

ああぁ、……出ていく。赤ちゃんが。私の中から、生まれていく。
するりと、なめらかに。信じられないほどの勢いで、私の脚の間を通りきった。
ちゃんと私の手で受ける。
女の子。

「生まれた……! 生まれたぁ……」

信じられない想いで、赤ちゃんを見つめる。
でも確かにわかってる。たくさんの痛さと、しっかり私から出てきたこの子のこと。
嬉しい。生まれてくれて。ちゃんとこうして、泣いてくれて。

そしてしばらくぐったりしてると、へその緒に繋がった大きな袋みたいなものも出てきて。
私の出産は、終わった。




床は清掃用の雑巾で、綺麗にした。
制服の上から着ていたベストを脱いで、赤ちゃんを包んで抱いて。
それから教室にあった大きすぎない段ボール箱を一つ、畳んだままで持って帰った。

家で段ボールを組み立てて、中にバスタオルを置いてから赤ちゃんを入れて。
そのままリビングに置くと、ずっと様子を見ながら母の帰りを待つ。

母の帰る深夜までは、時々おっぱいもあげて。


生んでからの時間で、考えた。
一番、この子も……そして傲慢だけど私も、大丈夫な方法。

玄関の鍵の開く音がして。
私は迎えに出て、母に言った。


「家の前にいたの。この子、……うちで育てたい。絶対」


そう、絶対に。



                    -完-




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