西暦200X年の産声


*プロローグになります。*

西暦200X年、世界は核の炎に包まれた。

しかし、人間はしぶとく生き残っていた。

荒廃した世界では力こそが正義であり、

各地で暴力による支配が続いていた。

しかし、そんな中でさえ命は産まれ来る・・・

「うううーーーーっアアアーーーーー!!」

暗闇にうっすらと明かりが灯る廃墟と化したビルの一角から

奇声が上がる・・・女が産気づいているのだ。

しかし、周りには火が焚いてある以外何もない。

水道もすでに止まり、ひび割れた冷たいコンクリートがあるばかりで

到底出産できる環境ではないのだ。

しかし、女にはここで産むほか無かった。

前に住んでいた街では毎日のように忌みものされ、妊娠が発覚すると

口減らしだと中絶を強制される・・・

お腹が目立ち始めるころ、女は持てるだけの食料と水をもってその街を離れ、

この廃墟に居を構えたのだった。

そして今日、無謀ともいえる出産に挑んでいる・・・。





「あぐっ・・・く・・・ふううう-----!」

臨月を迎えるころには食料も水も尽きかけていた。

いずれ飢えることは確実であった。

それでも、女は幸せだった。胎児が腹を蹴るたびに笑みがこぼれる。

我が子の誕生を待つことも、男か女か知ることも許されず、

前の子も、その前の子も、胎動を感じる前に子宮から掻き出されていった。

・・・子供を産める。そう思うだけで女は幸せだった。

(あなたはきっと・・・いえ、絶対に産んであげる・・・!)

激しい陣痛の中でさえ、女は微笑んでいた。

これは子供を殺す痛みではなく、産み出すため、生きて世に送り出すための

痛みだと思うと、それが快楽にすら感じてしまう・・・・

女はそれが可笑しかったが、同時に納得してもいた。

ボロ切れをつなぎ合わせ、雑草を詰めた手製の座布団で胡坐をかきながら

息を大きく吸って、吐いて、陣痛をやり過ごす。

「ふぅーーーーっ、ふーーーーーっ」

痛みの間隔が短くなる。五分間隔といったところか。

そのころになると、泣いたり叫んだりすることはもうしなくなった。

陣痛に慣れたせいか、体力の消耗を極力避けようとするだけの理性が

働いている。陣痛の合間に女は急いで固形食と水の食事を済ませ、

予め浴槽に溜めておいた雨水を自前の濾過装置で浄化し、

ハサミや紐、さらしといった道具と共に鍋に入れて焚き火にかける。

鍋が煮えたぎるころ、痛みの感覚はさらに短く、鋭くなっていた。

(・・・・!)

お産は予想外に早く進んでいるようで、女は動作を速めた。

鍋を火から外し、さらしを絞って焚き火の回りに干した。

「これで・・・後は・・・うっ!?」

(ブツンッ)

ひと際激しい陣痛と同時に、何かが柔らかいものが弾ける音。

温い液体が下着から染み出し、内股を伝って座布団を濡らし、

染み込まなかった分は床に水溜りとなって広がる。

「破水・・・したぁ・・・!」




自分はいよいよ待ちに待った瞬間を迎える・・・女は身構えた。

呼吸を整えて胎児に酸素を送る。破水してから怒責感を覚えるように

なったが、陣痛の間隔からしてまだ子宮口が十分に開いていないので、

四つん這いになって腰を高くしながら息を吐いていきみを逃す。

「ふうーーーっ、ふうーーーっ、ん・・・・はあっ、はあっ・・・」

子宮が収縮し、それと同時に幾筋かの羊水が女の内股を伝う。

女はいきみの衝動を耐え難くなってきている。

恐る恐る会陰に手を伸ばし、子宮口の開きを手で探る・・・

「あ・・・!」

指の第二関節、大体五センチほどの場所に違和感があった。

どうやら胎児の頭は既に産道を降りてきているらしい。

「もう・・・すぐ・・会える・・・っ」

産道から手を離し、両手をついて上体を起こすと、

途端に陣痛の波が押し寄せてきた。

「うっ・・・んんんっ・・・はあ、はあ、」

思わずいきむ。しかしすぐに息が切れてしまった。

いつの間にか一分間隔で陣痛が来ていたことに気づいた女は、

深く深く息を吸って、次のいきみに備え・・・・

「!来た・・・すううう・・・、んんんんんん!!!」

・・・・いきんだ。力の限り、いきんだ。

(・・・押し出すようなイメージで腹圧をかける・・・)

廃墟で収集した書籍から仕入れた知識が最大限役に立っている。

すって、はいて、いきんでを何回か繰り返すと、

産道に焼けつくような違和感を覚えるようになった。

「これって・・・うううーーーーん!!」

女はいきみながらもう一度会陰に触れると、

ぬるりとした円形ものが、自らの会陰を押し広げているのが確認できた。

しかし、いきむのをやめるとそれは産道に戻ってしまう。

「はっ・・・はっ・・・排・・・臨・・・・」

その瞬間(とき)は、確実に迫っている。




排臨にさしかかってから、二時間が経過していた。

女は疲弊していた。なかなか進まないお産に内心焦りを覚えている・・・

出たり入ったりでなかなか出てこないことがもどかしい・・・

「はぁ・・・はぁ・・・んんんん・・・・!」

体力を消耗した分いきみも弱い。

「あと・・・少し・・なのに・・いいい!!」

陣痛だけはひっきりなしに来ているのだが・・・・。

少しいやな予感がする。

「はぁ・・はぁぁ・・・どうして・・出てきて・・くれない・・の?」

腹を撫でながら胎児に問いかける。

確かに文明は崩壊したかもしれない。

確かに暴力が支配する世界かもしれない。

明日を生きられる保証すらない。

・・・しかしこんな時代でも希望を持てたのだ。

「世界は・・絶望ばかりじゃないの・・だから・・お願い・・・!!」

女は四つん這いから側臥位に姿勢を変え、しばしの休息を試みた後

今度は壁に手をついて膝立ちの姿勢で・・・・

「すうぅ・・・ううーーーーーっんんんーーーーー!!!」

渾身の力を込めていきんだ。そして・・・。

「んん・・・・つうっ!」

会陰の焼ける感覚が引かなくなった。女は改めて会陰に触れる・・・

「え・・・何・・・これ・・・!?」

柔らかすぎる。少なくとも、頭の形はしていない。

「嘘・・・嘘・・そんな!!」

膝立ちのまま両手で股間をまさぐる。核汚染された世界では、

奇形を起こす子供も珍しくない。最悪の事態が女の脳裏をよぎった・・・

「嫌・・いやぁ・・・!いやああああああああああ!!!!!」

その刹那に来たひと際激しい陣痛が、絶望をさらに深める・・・。




「~~~~!」

女の足もとに僅かな血飛沫が飛ぶ。

叫んで余計な力が入ったせいか、会陰が裂けてしまったようだ。

女は産道自体を引きずり出されるような感覚に襲われ、呻いた。

しかし、それは思わぬ効果を生む。

女は再び会陰に触れて、胎児の状態を確かめる。

(もう、奇形でもなんでも良い。せめてこの世に送り出す・・・)

女は半ば諦めかけていた・・・が。

「あ・・・これって・・・足・・・・!」

胎児の腰から下が、産道からぶら下がっている・・・逆子だ。

「よかった・・・」

喜ぶべき状況ではないのだが、女は安堵した。奇形で生まれてすぐ

死ぬより、逆子でも五体満足ならばそれに越したことは無い。

そう、女は考えている。

女は壁に背を預け、排泄時のように両足を地面につけて開いた。

「はっ・・・早く出さなきゃ・・・窒息しちゃう!・・・うう~!!!」

胎児の足を引っ張りながらいきむ。裂傷箇所からの出血も気にせず、

ただひたすら陣痛が来るたびに力を込める。

「うあああああ!!!」

足元にはすでに血と羊水の混じった水たまりができている。

やっとのことで首から下は出たが、肝心の頭が出てこない。

寧ろ、無理に引っ張ると首が折れかねないので出せないといった方が妥当か。

「くう・・・待って・・て・・すぐに・・・出して・・ああああ!!」

徐々に、徐々に・・・胎児を手前に引き上げる。

そして・・・。




「~~~~~~~~~~~~!!!!」

女が声にならない音を上げてのけ反り、

・・・・・ズポォッ!!!頭が引き抜かれ、

同時にボチャボチャと生々しい水音が部屋に響いた。

その瞬間、胎児は嬰児に、女は母に変わる。

「お・・・・女の・・・子・・・」

自らの手で取り出した我が子を胸に抱き寄せ、

背中をさすって羊水を吐かせると、嬰児は「ケホッ」と二、三回咳込み、

「オギャー」・・と無事に産声を上げた。

「・・・・はあ・・・はあ・・・う・・まれ・・た・・・」

女は安堵して血だまりにへたり込み、しばしの休息を得た後に

臍帯の脈動が止まったことを確認してへその緒を切り、

嬰児の体を産湯で清め、さらしで水気を拭き取り、産着を着せる。

そして、ゆっくりと初乳を含ませるのだった・・・。

喉を鳴らして乳を吸う我が子を見て、優しく微笑む母親。

生後すぐの、母子にとって一番密度の高い時間。

乳を吸い終わった嬰児は、そのまますうすうと寝息を漏らす。

「うふふ・・・マイペースな子・・・」

(この子ならこんな時代でも生き抜けるかもしれない・・・)

何故か根拠のない確信が湧いたので、女はクスリと苦笑した。

(私も眠くなってきちゃった・・・)

女の意識は、そのまま深い闇の底に落ちて行った。

窓の外では、丁度夜が明け、朝日が顔を覗かせていた・・・。




~エピローグ~

その日の午後、砂嵐に追われた一人の女が廃墟を訪れた。

年の頃二十代前半といったところか、まだ年若い女である。

腕には赤子を抱いている・・・が、どうも普通ではない。

眼は虚ろで光が無く、足取りすらおぼつかない。

薄ら笑いを浮かべながら、蚊の泣くような声で子守唄を口ずさむ様は、

どこか悲しげにも、狂気が滲んでいるようにも見える。

女はその足で、廃ビルの一つにふらふらと足を踏み入れる・・・

まるで何かに誘われるように・・・。

「・・・呼んでる・・・」

かすかに聞こえる泣き声・・・女は歩を早める。

「どこ・・・?どこ・・・・・?」

そして、ある部屋に辿り着く・・・・。

生臭い部屋、まだ乾ききっていない血の海の中、

母親であったろう骸の腕の中に守られた声の主はいた。

死の支配する空間で、泣き声の主は今も必死に「呼んで」いる。

「待ってて・・・今、行くわ・・・」

物言わぬ我が子を骸の脇に寝かせ、まだ産まれて間もないであろう

声の主を抱き上げた。

女の眼にはいつしか光が戻り、乳房は痛いほどに張っている。

「お飲み、愛しい子・・・」

乳の匂いに気づいた赤子は泣くのを止め、乳房に吸いつく。

一度も味わうことなく一生を終わると思った、母としての感覚。

産声を上げることなく逝った我が子、それを認めたくなくて、

だからと言って死ぬ勇気もなくて、荒野を彷徨っていた。

(この子は、そんな私を救ってくれた・・・。)

感涙にむせびながら思う。

(これからの人生をこの子のために捧げよう・・・・)

女は固く心に誓った。

・・・三日後、女は廃墟を後にした。

背中には水と食料、胸には「我が子」を抱いて・・・。

残された廃墟には、二つの墓標がひっそりと残されていた・・・。



~fin~



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