X'mas Present


運命、ってものが本当にあるとするなら。
それはいつ決まるというのだろう。そして……どうして決まるのだろう。


色づき始めた銀杏の下を、涙を堪えて歩いていく。
今日、私は苗字を戻した。
古鳥美絵から、南美絵へ。たかが紙切れの一枚で、氏名というかなり重要な事実が戸籍の上で書き換えられる。

『じゃあ、もう離婚するしかないわね』

彼に嫌がって欲しかったのかどうか、今となってはもう自分でも解らない。
事務所に出向いて言った私の言葉に、彼は黙って頷いた。諦めきった無表情で。
そして結局彼には私のあの事実も、知られないままだった。
3年間の結婚生活で、私も、そして彼も29になった。
それだけだった。

離婚届も書き上げてから、交わした最後の約束。
その場所……ホテルの6027号室に、今朝になっても彼は現れなかった。
もしもそこで少しでも話が出来たら。
少しでも。彼に話せたら。
そうしたら、届は細かいゴミになっていたかもしれなかった。
けれど現れなかった。それが彼からの、最後の答え。

チェックアウトと同時に、彼の携帯番号やアドレスを着信拒否にして、真っ直ぐ役所に行って。
そして今。苗字の戻った私は、運命とは、なんてことをひとり考えている。

ひいては私の今までを。こんな秋の始まりに、振り返っている。
ひとつの決意と共に。




母が厳格な人だった。父は母に全て任せていた。
一人娘の私の何もかもを、母は知りたがった。

『うるさい……!』

全て突っぱねて、の私は家を出た。中学に上がってすぐの頃だった。
街に逃げて、ふらふらして。そこで出会った人たちの部屋を転々とした。
野宿もザラだった。


そして私は田屋に拾われた。初めて会った日に。どこかの俳優に似た風貌の中年だった。
田屋は親にも警察にも連絡しようとはしなかった。広いマンションに私を置いてくれた。

『……っ!』

そして初めて来ていきなり抱き締められた時は、驚いて声を上げる私の背中を田屋は、私が落ち着くまでとんとんと叩いていた。

『君は私が嫌いか……?』

背中を叩きながら傷ついたようにそう言われてしまっては、首を振るしかなかった。
少し強まる腕の力に、胸の熱さを感じて私は抱き締め返した。
初恋だった。


けれど田屋に別の家があることは、暮らし始めた当時から私は解っていた。
毎日会いはしても、夜は結局私一人で過ごしてたから。
……でも一週間が過ぎて、田屋が夜になってもどこにも行かなかった日があった。

『なあ、美絵を抱いては駄目かな……』

それまでのように私を抱き締めながら、田屋は言った。甘い声だった。

『え? ……小父(おじ)さまいつもこうして抱き締めてくれてるじゃない?』

『いいや、そういう意味じゃないよ』

『小父さま……?』

『無理にとは言わないが。でも……私は、美絵を抱きたいんだ……』




でも誰かと肌を重ねるなんて、それまで考えたこともなかった。
……街でかなり遊んでいたとはいえ、今までは年上の女友達がそういうことをナンパ相手からブロックしてくれていたから。
抱きたい。でも切ない声でそう言われて、少しの怖さよりも前に私は頷いていた。

『美絵……』

誰かと唇を重ねるのもその時が初めてだった。
ベッド前で抱き合ったままで、ゆっくりと倒れ込んで。
耳元へと這う唇のくすぐったさが、すぐに気持ちよくなった。

『小父……さま……っ』

火照っていく体には服は邪魔で、だから脱がされていくことも羞恥よりも嬉しさが勝った。
暗い部屋の中、お互いの吐息ばかりが聞こえて。胸元や、脚の間の辺りが、触れられる毎に大人になっていく気がした。
田屋の股間のものは既に硬い、大きな塊だった。私の腿にそれが触れて、息が一瞬止まった。

『……驚いた?』

『は、はい、少し……』

『すぐには、入らないかもしれないけど。美絵の中にこれが入ったら……』

耳元で。吐息で田屋は喋った。

『きっと凄いことになるよ。気持ち良くて幸せで。私も君も』

『はい……』

熱に浮かされているような気がした。その時点でもう、それまでで一番幸せだったから。
脚を広げられ。間をずっと田屋の指が触れ続けた。どこから来たのか、水分めいた音がして恥ずかしくなった。

『ああ、もうこんなに……この分じゃ、すぐに入るかもしれないよ』

一旦離れる体。田屋の指の触れていた場所に、指じゃない何かの感触がした。

『ん……』

その何かが、田屋のそれだとすぐに解った。私の中に、独特の小さな痛みを伴って入り込んできた。

『っ……!』

『美絵……っ』

田屋がそのまま私の方へとまた傾いて。その間にも私の中へと更に深く潜ってくる田屋。
貫くのは、最早痛みじゃなくて快感だけだった。初めて届く気持ち良すぎるその感覚に、喘ぎ声を止められない。
初めての私の中はやはり余程のものだったらしく、私の耳の傍で発する田屋の声も大変な快感をはらんでいるように聞こえた。




けれど、相当奥だろうと思った瞬間に、田屋はそれを抜き始めた。

『えっ……?』

もうお終いなのかと悲しくて、もっと私の中にいて、と田屋を抱き寄せた。
田屋はそのまま腰を浮かせ続けてから、抜けるか抜けないかというところで止まる。

『あああッ……!!』

今度は凄い勢いで、また深く私の中を突き進む田屋。
同じように何度も、何度も、腰を動かしてきた。もう呼吸さえままならずに私は、されるがままに田屋を受け止めた。

『いくよ、美絵……!!』

吐息に塗れた田屋の言葉、その意味を知るのはすぐのことだった。
田屋のものが、狭い私の中でびくびくと何度も震える。鼓動のように、いやもっと強く。
感覚で、田屋が何かを噴き出したのだとわかった。

『小父、さま……、……っ、……!』

熱い呼吸はそう簡単には治まらない。ぐったりと私は、田屋の抱擁を受けて。
その姿のままで二人、朝まで沿い寝をした。


私達の関係は、誰にも言わないで欲しいと田屋からは言われていた。
勿論話す相手はいなかったから頷いた。

『君に頼みたいことがあるんだ、美絵……』

時々田屋が言っていたその言葉は、当時の私には意味を明かしてはくれなかった。
そして後に私は、それを自分で知ることになるのだった。


初めての夜の後も、田屋とセックスを何度も何度もした。
けれど私は知らなかった……漠然と知っていたことと事実とは、そう簡単には結びつかなかった。

13歳でも生理が始まっていれば、それは母体になれるということで。
私のようにどんなに小柄な方でも、それが当てはまるのだった。
それを私は身を持って知った。生理が止まり、止まったのを知った田屋が私を抱かなくなった。
スティック状の何かを田屋に渡され、言われた通りのことをすると、それには何かマークが現れた。

『小父さま? これ……何?』

『後でわかるよ、今は安静にしてて』

『えっ……安静に? 私……病気とかなの?』

『病気じゃないよ、大丈夫』

田屋の優しい笑顔にはほっとした。
……けれど。そこから、体の変化に戸惑う毎日が始まった。




『気持ち悪……』

一日の大半をトイレで過ごし、食事は殆ど受け付けない。
田屋とは肌を重ねることが止んで、抱き締めてはくれるものの力強くはなくて物足りない。
本気で病気なのだと疑った。けれど市販の風邪の薬は田屋に止められた。絶対に駄目だと。

『小父さま……私、どうなってるの……?』

『もう少ししたら、気持ち悪くなくなるよ。それまでの辛抱だ』

言われた通り、数ヶ月で気持ち悪さは落ち着いた。
けれど、体の見た目はそこから着実に変わっていく。
胸が大人の女性の如く膨らみ、腹回りは太ったようにではなく緩やかに突き出始める。
田屋は時々私を脱がせては、ほっとしたように嬉しそうに、その体を見て行った。

『じゃあ、教えてあげよう、美絵』

『うん』

『君のお腹の中には子供がいる』

『は!?』

私は固まった。まさか。だって。私が子供で。なのに私に。子供って。

『僕との子供だ。これから、時間を掛けてもっともっとお腹が大きくなっていくよ』

『待っ、だって私まだ』

『大丈夫』

動転する私を田屋は一言で静まらせた。

『君は充分大人だ。子供は君を選んでそこにいるんだから、心配は要らないんだよ』

『小父……さま……』

お腹に触れる私の、不安に震える肩を田屋が抱いてきた。
私はその手の暖かさで、これさえあればこれからもやっていけると、そう思っていた。
確かにその時は、そう思えていた。




年相応に小柄な、けれどお腹は臨月間近の大きさで、私の生活は変わらずに続いた。

『小父さま、赤ちゃんってどう産んだらいいの……?』

『どうって?』

『産まれそうな時に病院とか行くんでしょ? でもどうやってわかるの?』

『病院に行かなくても産めるんだよ。君はこの部屋で産むんだ。だからいつ産まれそうになっても大丈夫だよ』

私の疑問には、田屋は割とざっくり答えた。

『楽しみにしてるからね、美絵』

『はい』

田屋は私のお腹を撫でてはよく話しかける。
でも時々、子供宛てではないことも呟いた。

『それにしても大きいな……?』

今にして思えば、私は当時まだ7ヶ月頃といったところだったのだろう。
けれどその時点で臨月と言えるほどの大きさで。
更に月を重ね、実際の臨月に入ると私は、大変な大きさのお腹を抱えることになる。


『美絵、これは完全に双子だな』

『ふ、たご……?!』

私は驚いて自分のお腹を見た。最近田屋から、そろそろ臨月だよ、もうすぐだよ、と言われた重いお腹。
自分のお腹の皮膚がこんなに伸びるのだということにも漸く慣れて。
子供がお腹の中でぐるぐると動き過ぎて眠れないことも増えて。
でも双子だとは思っていなかった。

『私のいない時間にお腹が痛くなってきたら、必ず電話するんだよ』

『お腹、痛くなるの……?』

私の言葉に、しまった、という顔を田屋がした。

『……大丈夫、私もついてるから』

『それなら、少しくらい痛くても我慢する』




お腹がこんなに大きかったことなんて、勿論それまでは全くなくて。
珍しさは絶えることがなく、私は暇さえあればその姿を姿見に映して楽しんだ。

『愛の結晶、って言い方を聞いたことがあるかい?』

そう田屋が教えてくれたことがあった。
田屋の愛情が、私のお腹には詰まっているのだと。
それ以来尚更、このお腹に赤ちゃんが、それも二人もいるという事実が心底嬉しくて嬉しくて仕方なかった。

けれどその気持ちさえ僅かに揺らいだのは、陣痛の時だった。


田屋がマンションから出てすぐの、夕暮れももうすぐ闇になるような時刻。
それまでの私がいかに痛さや辛さと無縁だったかを、最初の、たかが微弱な陣痛で思い知った。
子宮の、小さな収縮。幼い私には、それさえ呼吸がうまく出来ないほどの衝撃だった。

『ぅー………、っ』

田屋への電話のことが頭から抜けるのは、ある意味当然とも言えた。
今この瞬間に産まれてしまう、とさえ思っていたから。

『ぁああっ……!』

ここから産まれるんだよ、と田屋に示されていたのは、あの頃何度も田屋の大きな硬いものを受け入れてきた私の脚の間の――穴。
左手は中で微かに波打つお腹を押さえ、右手は……そこに触れた。
当然、産まれる気配はなかった。……けれど、私は戸惑った。
この痛みはすぐに産まれるサインなのだと思っていたのに、まだそこはただ柔らかなままだったから。

『小父さま……、小父さま……っ』

困ってそして不安で、口を出たのは田屋を呼ぶ言葉だった。そこで電話のことを思い出して私は、焦って連絡した。

『痛いの、凄く痛い……っ!!! 産まれちゃうよ小父さま……っ』

田屋が出て行ってからまだ5分やその辺のことだ。電話の向こうでは苦笑混じりの声がした。

『もう少ししたらきっと収まるよ、もうちょっと頑張ってごらん。呼吸をゆっくりするんだ』

今から戻るから、と電話を締められて、私は呆然とした。
痛みは止む気配を見せない。受話器を戻すのも一苦労で、とにかく言われた通りの呼吸を必死でこなした。
田屋が戻って来たのは、その痛みが漸く治まった頃だった。




『安心して。私がずっとついててあげるからね』

知らぬ間に溢れていた私の汗を拭ってくれながら、田屋は微笑んだ。
私は既に疲れきってソファに横になっていた。服を脱ぎ、体の下に敷いた毛布の柔らかさに幾らかほっとして。

『どうしてまだ産まれないの……?』

双子だからなのかとか、やはり私が幼いからなのかとか。今更になって不安が渦巻いていた。
そしてまた陣痛は私を襲う。何度も何度も。何度も、私を苦しめた。

『全部、子供が産まれるための大切な痛みなんだよ』

『でも…………っ!』

ただひたすらに辛いだけだった。回を追う毎に、その痛みは強大になっていく。

『っ、痛い、………っっ痛い――――!!!!!!』

お腹の中の、全ての神経を長時間捏ねり回されるような気がした。
酷く熱い、重い陣痛だった。ソファに座り直した私は、次第に、力を込めたくなっていく。

『ふ、んん――――――!!!!』

『待つんだ、美絵』

前触れもなく、田屋が私の脚の間から指を2本突っ込んだ。それを広げられる感覚。

『まだ力を入れるのは駄目だ、声出して陣痛を逃しなさい』

『何、で……っ!? 早く産、みたい、もう耐え……られない、の……!!』

『子供のためだ。耐えなさい』

その言葉は、やけに冷たく響いた。仕方なくいきむのを止める私に、いい子だ、と田屋が頭を撫でてきた。

『ぁ゛あ――――――――』

ひたすらに、唸って痛みを遠ざける。呼吸が悲鳴に変わっていった。
暫くそうしていると、田屋がまだ私の中に指を入れてきた。

『よし、もうすぐだ。もう声は出してはいけないよ、痛みを全部力にするんだ』

そう言われ、痛みを逃さなくても良くなった途端、無意識にお腹の底の辺りに力を込めていた。
刻々と強まる陣痛。力を込めるのに腰が浮き、座っていたはずのソファから滑り落ちかけて中腰になる。
右手をソファに置いて体を辛うじて支え、お腹の至るところに左手を当てていった。

『んっ、……―――――――ッ!!!!!!!』

重力に沿って、そして子宮の縮みも助けて、子供が両方降りてくるのがわかった。
お腹の形も少しだけ変わった。膨らみが僅かに脚の方へと近づいた。
脚をもっと開ききり、左手を出口へと滑らせ。触れるも、まだ柔らかさが勝った。
悲鳴を飲み込んで苦しく何度か呼吸をしてから、また力を込めた。強く。

『ーッ、――――――――――――――!!!!!!!』

田屋はいつの間にか、小さなお風呂や中のお湯を準備し終えていた。
私はそれにも気付かずに、また喘いだ呼吸を繰り返す。
体中が陣痛だった。

『んーーッ、……――――――――――――――――!!!!!!!』

脚の間を、強く広げられる感覚が漸く、した。
頭が。出る。もうすぐ。そう直感出来て、力を振り絞った。
子供の体めがけて、ひたすらに力を込めた。




『っ、ッ――――――――――――!!!!!!!!!!!!』

田屋はただ黙って見ていた。でも私にはわかった。今の、これは。水が一緒に出て。この大きな、感覚は。頭が。きっと。
そう思って触れてみる。確かに出てきていた。

『ぁあッ――――――――――――!!!!!!!!!!!!!!!』

頭が出た直後の波で込めた力で、わかった。
あと一息。もう一息で、きっと……産まれる。小父さまと私との、赤ちゃん。
ほら。

『――――――――――――ッ!!!!!!!!!!!!!』

子供の体の弾力が、私の脚の間を滑り抜けた。
田屋がすぐに両手で子供を受けて、温かいのだろうお風呂にそっと入れるのが傍で見えた。
へその緒は、まだ私のそこから出てお風呂にいるその子に繋がっていた。
力が抜けた気がして座り込みかけて、首を振った。まだ終わらない。
すぐにまた、陣痛は私の幼い体を襲ってきたから。一人目以上の痛みが。
強い力が通ったままの私の腰の辺りの骨は、陣痛のせいで更に痛む。
壊れそうだ、とその時の私は思った。
陣痛に耐えなくては。でも気力は確かに奪われかけていた。

『ぁあ、っ……―――――――――――――!!!!』

それでも痛みの波、お腹にいる子供の動き、どちらも確かに感じられた。
一人目の鋭く泣く声が頭に響く。陣痛が音として聞こえてきたかのように。
波に、息を強く吸い込んで、お腹の子供に力を送る。

『……―――――――――――――――――!!!!!!!』

内側から、下へと引っ張られる感覚がした。その力にまた腰が浮く。
必死の呼吸、そしていきみだけをひたすらに繰り返した。
どんどん降りていく子供。強く広がる脚の間の私の、穴。

『ああァッ…………!!!!!!!!!!!!!』

子供の頭が出る痛みが。私の中を鋭く抜けていった。

『――――――――ッ、っ、っ、……!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!』

細かな、沢山の私の呼吸の中、その子の頭が、肩が見えた。
腹が足が。見えた。一瞬のことだった。
田屋がそのまま、また子供を受けてお湯に運ぶ。

そして。力の全てを使い切った私に、陣痛を遥かに越える激痛が走ったのはほんの数分後のことだった。
続いて意識が、徐々に白くなっていった。
……何が起きたかは、後に知ることになる。

――君に頼みたいことがあるんだ。
田屋から幾度となく言われていた言葉。




その後、目覚めたのは病院で。

結果から言うと私は、もう子供の産めない体になっていた。
私を運ぶ為の救急車が来た時点で、田屋はどこにもいなかった。
私の産んだ、二人の子供も。

胎盤が剥がれ落ちる時に傷付けていったのは、私の子宮で。
深く広いその傷に、酷い出血に、医者達は成す術がなかったという。
私の命が繋ぎとめられただけでも奇跡。そう言われた。

若すぎる出産のリスク、とも医者に言われた。
私は何も説明出来なかった。様々なショックが重なって、そこから退院までの一年は、言葉の一切を失っていた。
ま、でも遊びも程々にね、との医者達の嘲笑とともに、子宮を失くした私は病院を追い出された。


親からは既に見放されて、病院代の借金だけが残って私は、昼は風俗、夜はキャバクラで働き出した。
私はもう妊娠することがないから、風俗は生本番の店に。かなり割のいい収入で。
キャバクラは、それなりの規模の店に。

田屋、は案の定偽名だった。
どこを調べても、そんな男の話は出てこなかった。
そして長い年月が過ぎて、キャバクラでの客との話で、私は知ることになる。
とある大会社は世襲制で、社長の男の夫人は子供が出来ない体質だった、と。
どうしても自分の遺伝子をもつ子供に会社を継がせたいその男は、愛人に産ませた子供を夫婦の子として引き取った。
その子供は。
男と女の双子。
酒が入ると口が軽くなる質らしいその客は、自分はその大会社の上位の重役だと言った。
社長一家と、重役の中でも極稀にしかそれを知らないんだぜ、と得意げに私に話して聞かせた。


大口の仕事があって財布に余裕のあった冬矢がそのキャバクラに来たのも、その頃だった。
口説かれ続けても、誰とも付き合う気は起きなかった。
子供がいる。母親は私だ。いつか、……いつかあの子達と一緒に暮らす。
それだけを支えに必死に、昼も夜もその世界で働いた。
田屋――その社長の男が死んだ、とニュースで知っても。私は働いた。
けれど迎えに行こうとしても、頑としてその会社は私に取り合わなかった。
聞けば、その愛人云々の話は世間に静かに広まり、我こそはと財産狙いの女が何人も密かに会社に詰め寄っているという。
その子達の名前さえ知らない私を追い返すのは、会社としては当然の対応だったのだろう。
でも私は。そんな女達とは違うのに。
ただ純粋に、自分が産んだ子供達と暮らしたいだけだ。

冬矢の職業は私の目的に使えるかもしれないと思い直し、そして想われることがその頃は純粋に嬉しくて、次第に私も冬矢に応じた。
でも冬矢の探偵業は日頃、全くの閑古鳥。私が昼間に働く風俗で、何とか暮らした。
風俗の仕事、それを冬矢は裏切りと呼んだ。
キャバクラで出会った冬矢とは、風俗の話は、結婚直後までは言っていなかった。
確かに私を好いている冬矢にとっては、風俗で働かれるのは嫌なものだったのだろう。
でも風俗の仕事をしなければ、いつの日か子供達と暮らす為の金は作れない。
日々の暮らしさえままならない。
更に風俗の仕事以外でセックスなんてする気は起きなくて、夫婦間は冷えていった。

そして子供の話も、冬矢には結局最後まで言えなかった。
私には、あの命を懸けた夜のことは神聖なものだった。
私が母親だと伝えて子供と過ごしたい、その願いも。
半端な気持ちでは、誰にも言えない。言わない方がいい。


だから私はきっと、これからも一人で、その想いを胸に歩く。


名前も知らないその子達を、でもこの手に、いつか。



                    -完-



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