Abnormal-desire


「――ん……ッ、ぅ……!!」

込み上げる熱いものに脅かされながら、滲んだ視界をどうにか払おうと首を振る。
けれどそんな抵抗はこの状況には微々たるもの。
僕を蝕む恥辱と苦痛を除くことなんか、到底できやしなかった。



  Abnormal desire ~ "GAME" the another story ~



傾きかけた日の光が狭い体育館倉庫の小窓から無情に差し込み、
室内を鮮やかなオレンジに染め上げる。
影は対比し深い藍色に僕の姿を包み込んだ。

頭上で束ねられ縛り上げられた両手首は柱に括られてびくともしない。
散々甚振られた体から制服はだらしなく乱れ、
はだけた胸元には幾つもの爪と鬱血の痕。
乾きかけの精液が放つ独特のにおいに吐き気さえ催した。
猿轡代わりのタオルで塞がれた口からは、
助けを呼ぶ声はおろか、痛みを堪える声さえもまともに零せない。
染み込み、やがて口端から顎を伝う唾液が心地悪く、
そんな自分の姿を客観的に想像して泣きそうだった。

何より、今の状況を最悪に陥れているもの。

それは僕の腹部に取り付けられた奇異な機械と、
そこに点滅する嫌な赤いランプ。
画面に表示された、不安を駆り立てる無機質な文章。


『 MODE : dystocia
CODE : 004-shoulder dystocia 』


それが何を示すのか、僕の知識では分からない。
けれど唯一分かるのは、その機械が僕の体に異様な状況をもたらしている事だけ。

醜く膨れた腹部に、時間を経て痛みが増していく。
腰の割れそうな痛みをどうにか逃そうとしても、
不自由な今の体勢では体をほんの少しよじるしか出来ない。
荒くなる息の中で、ただ時間だけが刻々と過ぎていく。




「よーぉ、ユキ。気分はどうだ?」

低い音がして、倉庫の扉がゆっくりと開いた。
軋む床を穿き潰されたスニーカーが擦る音がゆっくり近付いてくる。
視線をゆっくり上げると、夕日に金色の髪がちらちらと光る、見慣れた彼の姿が映った。

「ふん。イイ顔してんじゃねーの」

皮肉ったような顔でイヅキはそう言った。
イイものか、と首を振るけれど、それすらも今の彼には格好の餌にしかならない。
後ろ手にドアを閉め鍵をかけると、イヅキは僕の前まで歩み寄り、右足を僕の腹部にぐっと押し付けた。
「――ンぅ……ッ!!」
圧迫された不快感と痛みに、くぐもって悲鳴ににならない声が喉の奥で鳴る。
それが心地よかったのか、イヅキは形の良い唇を歪ませて笑う。

「んッ……ふ、ぅ……!」
「あーあ、折角のカワイイ顔が台無しじゃん。そんな泣くなよ。
 それとも何、ようやく後悔していう事聞く気になった?」
痛みの波を乗り越えながら、必死でイヅキの言葉を否定する。
するとイヅキは一瞬目元をゆがめ、足をどかしてしゃがみこむと
僕の前髪を片手で強く掴み上げた。
引きつった痛みとその勢いに、思わず息が詰まる。

「お前ほんっとーに学習能力ねえのな……優等生はこれだからよ。
 何回俺に犯されたら気が済むの?
 ……逆に、犯されたくてそういう態度取ってる?」

濁ったイヅキの目に捉われると動けなくなる。
怯えている僕の表情を暫く見つめ、
イヅキは乱暴に髪を解くと口元のタオルを取り払った。
解放されて酸素が一気に肺に入ってくると同時に、身体に感じる痛みが増す。
息を呑むとイヅキは僕の顎を掴み、ぐっと自分の真正面に目を向けさせた。

「何か言えよ」
「……やめようよ……こんな」
「ンなこと聞いてんじゃねえよ、馬鹿か。あの女との関係ぶっちゃけて楽になったらどうだっつーの」
「だからッ……彼女とは何でもないんだって……。
 ただ偶然、図書館で会ったから……少し話をしただけで……ッ!」

身を裂かれるような激痛が腹部から背中を走る。
荒くなる僕の息の中でイヅキは不機嫌そうな表情を崩さない。
繰り返す痛みの波の中で、意識も朦朧としてきた。


事の次第は簡単なことだ。
先週図書館で偶然クラスメートの女の子と鉢合わせ、
期末試験やら学校やらの話をして少し街中を歩いただけ。
彼女は確かに学年でも有名な美人だけど、
僕には高嶺の花だし彼女にはきちんとした関係の彼がいる。
第一、幼馴染のイヅキに少なからず――例えそれが普通のことではないにせよ――
特別な感情を抱き続けてきた僕にとって、
そんな偶然ひとつが心を変える事などできるはずが無いのに。

イヅキはそれを人づてに聞いて、酷く怒った。

不運だったとしか言いようが無い。
彼女はイヅキが昔付き合っていた女の子で、
どうやら酷く無様な形で別れた過去があるらしいのだ。

何故僕はそれを知り得なかったのか。

頭の隅ででもそれを知っていたなら、
軽率に彼女を傍において街中を歩くような事はしなかったかもしれないのに。


疼く痛みを懸命に堪えながら、僕はイヅキの目に訴え続けた。




「イヅキ、ごめん。傷つけたなら謝るから……。
 だからこんなことやめようよ……」
「調子良いこと言ってんなって。
 詫びるならそれなりのやり方があんだろ?
 お前に一度や二度ぶち込んだくらいじゃ、治まらない」
「頼むよ……イヅキ……」

散々ここで僕を痛めつけて、それでもまだ治まらないらしいイヅキの激しい気性。
迂闊に逆なでしてはいけない事を昔から知っていたはずなのに、
僕はそれを犯してしまった。

後悔先に立たず、とは、この事だ。


「折角ダチから借りてきたものなんだしよ……暫く楽しませてもらうぜ?」

コツ、とイヅキの指が機械の画面を小突く。
誰のものなのかは知らないけれど、
最近流行っていると言う擬似出産の機械。
勿論僕は体験したことなんか無いし、する気も無かった。
イヅキはその使い方ごと誰かから仕入れてきたらしく、
僕に「仕置き」を施したあと、その続きと称して僕に機械を取り付けた。

操作によってはそれは快楽ではなく苦痛をもたらす事くらい分かる。
現に僕の身に起こっているのは「オモチャ」としての域を超えた感覚。
逃れたくても逃れられない事態に、一抹の恐怖があふれ出す。

「イヅキ……イヅキ、頼むよ……痛い……」
「心配いらない。見回りの先公は体育館の倉庫までは見に来ない。
 俺のことが好きなら、俺の前でやってみせな?
 ユキはそこらの女よりずっと良い声出すんだから」
「イヅキらしくないよ……こんな……あ、うッ……!!」

衝動に思わず体が跳ねる。
イヅキはそれ以上何も言わず、僕の胸元をそっと手の平で撫で、
そこから下がって膨らんだ腹を撫で上げる。
硬く張った腹は痛みにあわせて何度か引きつり、
酷い不快感と恐怖を僕にもたらした。

「はぁ……ぁ、ぅん……ッ」

うまく息をしなければと思うのに、痛みは容赦ない。
一刻も早く腹の中を押し出したい衝動に負けて思わず息んでしまう。
太股が痙攣し、その間からじわじわと込み上げる熱が更に僕を掻き立て、
直腸の辺りを圧迫される感覚に思わず身悶えする。

「痛い……痛いよ、イヅキ……!助けて、……!!」


振り絞った声にも、イヅキは一言さえ答えない。




強く疼く激痛にせめて声だけは出すまいと懸命に唇を噛み締める。
けれどイヅキはそれさえも気に食わないと言わんばかり、
僕の顎を持ち上げて無理やりなキスを強いてきた。
彼の柔らかな唇に傷をつけないよう、無意識の意識で緩む自分の口元。
溢れていく吐息と零れる唾液が二人の間で絡まり合う。

「んっ、く……ぅあ……」
イヅキの唇に集中しようとしても込み上げる痛みに抗えない。
上から唇を犯され、内側から下半身を犯されるような奇妙な感覚が身体を貫く。
乱れたシャツが汗で湿り、湿度の低くない倉庫の中では不快この上ない。
乱暴なキスに反して穏やかで優しいイヅキの指先は変わらず僕の身体をまさぐっていた。

「う、んん……っ、イヅ……キ……!」
「ユキ……ユキ、聞かせろよ……もっと」
「ああ、駄目だよ……痛い、ん、……ッ」
「すげえ良い……口なんか閉じるんじゃねえよ、もっと」

衝動でイヅキの唇か、舌を噛み切りそうだ。
それだけの衝動に耐えている自分に驚きさえする。

むず痒いような嫌な痛みが下半身に集中していく。
脱がされ、さらけ出されたそこからはじわじわと羊水が流れ出し、
冷たい床の色を一部だけ変えていた。

イヅキは大きく張った腹を暫く撫で回した後、
その手を下腹部に這わせて下ろし、
やがてしっとりと濡れたそこにたどり着く。
――擬似的に機械で構成された産道はそれでもリアルで、
今まで僕が知りえなかった部分で知りえなかった感覚をもたらす。
ひ、と思わず息を呑むと、イヅキは可笑しそうに口元を歪めた。

「ここから……出てくるんだ?なあ、ユキ」
「やめて……頼むから、もう……」

もう、羞恥心と痛みで気が狂いそうになる。
彼の手でこんなにも堕ちた事態にいるのだ、許されても良いじゃないか。
どんなに懇願してもイヅキはもはや許す許さないで無く、
むしろ僕の反応と変化を楽しむためだけにこの状況を維持しているような気がして空しくなる。

イヅキの指は、まだ開かないそこに何度か弄ぶようにして触れた。


縛りあげられた両腕から感覚が消えていく。
分かる知識の限りではどうにか腹の中の子供を排出しなければならないのに、
それがこんなにも体力の要ることだったなんて。
無理な体勢のせいでうまく息む事が出来ない。
床以外に踏ん張るもののない足元が頼りなく何度も空を蹴り、
不安定な身体は繰り返す陣痛の波に何度も撥ねた。
許されるのは身体をよじり痛みといきみを自分に促す事だけ。

涙と汗と、いろんなもので汚れてしまった自分の情けない姿を
何故こんなにイヅキが真正面から見ていられるのか不思議でたまらなかった。




少しでも気を緩めたら飛んでしまいそうな意識の中で、
僕は懸命にイヅキの顔を覚え続けた。
今ここで縋れるのはイヅキの存在だけだ。
例え彼がどんな目で、どんな感情で僕を見ていようとも。

その時、不意にイヅキの身体が、
括られた僕の身体に圧し掛かるようにして覆いかぶさってきた。
一瞬何が起こったのか分からず目を見開くと、
イヅキは僕の腹を跨ぎ両手を僕の縛り上げられた手首に添えて顔を寄せてきた。

端正なイヅキの顔立ちにほんの刹那、身体を蝕む痛みを忘れる。

「お前、今すっげえエロい顔してんだぜ?気付いてる?」
「……分からないよ……」
「だろうな」

喉の奥でクツ、と笑って、イヅキは僕の額の汗をそっと舐め取った。

それと同時、イヅキが自分の腰を僕の腹に押し付けるように体重をかけた。
中身を押し出されようとする感覚に思わず僕の喉は上向き、
空を掻いて声にならない息を吐き零す。
叫び損ねであり、懇願にも、感嘆にも似た吐息。
押し当てられたイヅキの股間の感触には、
気付いてもいたけれどそれどころじゃなかった。

徐々に加えられていくイヅキの体重が、
僕を圧迫し衝動を促していく。
てつだってやるよ、と囁いたイヅキの声は、
怒涛のように襲い来る激痛に飲まれてノイズが掛かる。
逃れる事も、縋りつくことも許されない今、
僕にできるのは自分をなくさないままただ流れるままに力をこめるだけだ。

「うぅ……ん、ぐ……ッ!!」

奥歯を噛み締めて懸命にいきむ。
子供が下がってくるのが先か、
腰の骨が折れるのが先か、
それほどの痛みと不安に苛まれて尚、
僕は目の前のイヅキをただ楽しませている。

なんて、――淫らな。


耳元に近付いたイヅキの口から、
熱く切ないくらいの呼吸が聞こえてくる。
押し出すのにいきんで、そしてその吐息に力を緩まされ、
徐々に子供が下がっていくのが分かった。

「ふ、ぅ……んん……!っは、ああッ……!!」


産道をずるりと滑る奇異な感触。

快感とも不快とも取りきれないその感触に息が詰まると、
頭上で括られた手にイヅキの指が絡んだ。
それが彼の意図なのかどうかは分からないけれど、
僕はただ必死でその指先を求め、不自由な姿勢で指を絡めた。

縋るような僕の指先を、イヅキはどう感じたのか、


綺麗な睫毛の揃った琥珀色の瞳が一瞬、僕を曖昧な表情で見下ろした。




「……女も、そういう顔すんのかね……」
「え……?」
「誘ってるみたいに見える。そんな真っ赤な目と頬で、見られたら」
「冗談じゃないよ……こんな思い、してるのに……」

無理やりな指先をイヅキは振り解こうとしなかった。
圧し掛かったままで僕を見下ろし、
腰を押し付けるようにして更に体重をかけていく。

「いきめよ。いきんでる時のユキの声、すっげえ好きだ」

「イッ……、ん……ふぅ、ん……ッ!!」

埃っぽい床を懸命に踏みしめ、
腰から下に思い切り力を込める。
何度も首を振り、流れ滴る汗を痛みと一緒に振り切りながら。

影を落とし色をなくしかけた倉庫の中、
暗がりに自分の呻き声とイヅキの呼吸だけが響く。
少しずつ下がっていく腹の重みを感じながら
ただ懸命に、僕は現実に縋った。

「はぁ、はッ……ぅん……っ、ん―――……!」

締め付けられるような痛みと、圧迫感が下半身に集中する。
出口を思い切り押し広げられているのが分かって、
今までに無い息苦しさにもがく。
激しく身を波打たせた僕を目にしてイヅキは目元を歪め、
深く腰を落とした。


「ッあああ……!!や、イヅキっ……!!」

こんな――こんな死にそうな痛みがあってたまるものか。
言い聞かせようとしても敵わない、そんな暇も与えられない衝撃。
狭い出口を内側からぐっと押し広げようとする力と、
僕の意思に相反して閉じようとすらしている肉壁の反比例が、
自由になれない僕をどこまでも痛めつける。

「い、ッ……ああ、イヅキ、イヅキ……痛い……!!」
「ユキ……」
「痛いよ……、んッ………!!」

擦り切れた手首に汗が沁みる。
押し広げられたまま後にも先にも進めない。
早く、
早くどうかそこから吐き出されて。

押し出したいのに、ギリギリのところで敵わないもどかしさ。

焼け付きそうな痛みか、熱か、
きっと今見え隠れしているだろう子供の頭部を纏う。


「ぅあ……ッ、は、っあああ――――ッッ!!」


一瞬そこに走った鋭い痛みと引き換えに、
太股の間にそれまでに無かった温度が生れ落ちる。


(……生まれ、た……?)


叫んだ喉の乾きを知る間もなく、足元の温度に太股で触れる。

違和感はすぐに知れた。

まだ自分と繋がったままの小さな温度。
それが生まれ「落ちて」いないことは容易に分かった。


大きく膨れたままの腹越しに、
頭だけを排出した自分の「子供」を見ることは敵わない。




「あ、……はあぁっ……」

休まらない痛みに一度大きく息を吸い、
頭と身体を落ち着かせようと声とともに吐き出す。
自分の体に何が起きているのか分からない状態が、
こんなに怖い事だとは思わなかった。

目元に掛かる髪が汗に濡れて邪魔で仕方ない。
ただ、それがほんの少しでもイヅキの姿をぼやかしてくれるのが、
せめてもの救いのように思えた。


僕と向かい合わせでいるイヅキには、その時何が起きているのか分からないようだった。


イヅキは暫く黙って、呼吸を整える僕を見下ろしていたけれど、
それから僕の腹に跨るのをやめ、身体をどかして僕の脚の間を覗き込んだ。
彼の目にそこの様子がどう映ったのかは定かじゃない。

けれど決して綺麗なものではなく、
むしろグロテスクな光景にすら見えたのかもしれない。
かすかだけれど、彼の口元が少し嫌な歪み方をするのが見て取れた。

その矛先が今の自分に向かわなければ良いと願った僕には、
彼を好きだと思う資格なんかないだろうか?


「イヅキ……見える?」
「……頭が出てる」
「うん、……多分まだ少し、かかる……」

イヅキは髪をかきあげてから、恐る恐るといった様子で手を伸ばし、
股の間に覗いている子供の頭に触れた。
自分の太股で感じる限り、だいぶリアルな出来なんだろう。
イヅキの肩がびくりと一瞬怯えたのが分かった。


その時、また腰から背中を押しつぶすような激痛に襲われる。
息が詰まったのをイヅキは見逃さなかった。
冷たい目にまた標的をあわせられ、僕はされるがまま、
まるで視姦でもされているような気分で続きに挑むより他ない。

「ふッ……ぅ……、ん……!!」

イヅキに両脚を押さえつけられたまま、
僕は懸命にその先へ進もうと力を込めた。




――けれど、それまでとは感覚が明らかに違うと気付くのに、時間は掛からなかった。

「……ユキ?」

頭が出るまでは自分の内臓越しに感じていたかすかな「進行」が今は分からない。
産道を下り、僕の外に出ようとしていた子供の動きが、
どんなに力を入れても、集中しても、今は感じられなかった。

「どうして……」
「生まれないのか?」
「わからない……苦し……ッ」

出されるべきものが詰まり、圧迫する鈍い痛みがじわじわと迫り来る。
苦痛と恐怖の絶妙に入り混じったそれを感じるには、僕は多分まだ幼すぎるのだろう。
今までどんなにイヅキに手を上げられても抱かなかった感覚を、
このとき僕ははじめて知った。
このまま苦痛が終わらないのではないか、という曖昧で鋭利な恐怖。

或いは、何かにもたらされた宣言のような。


呼吸に混じって情けない声が混じる。
呻きのようでもあり、弱音のようでもあるその声に、
イヅキは一度自分の唇を舌でなぞり、右手を再び子供の頭に伸ばした。

「ッひ……ィっ!!」

思わずあげそうになった悲鳴を咄嗟に飲み込んだ。

イヅキの指は子供の首辺りから羊水に濡れた肌沿いに僕の中へと押し入ろうとする。
限界まで押し広げられているそこを無理やりこじ開けられるような
酷い痛みと不快感に唇を噛んで必死で耐えた。


「……多分、中で引っかかってる。腕か……じゃない、肩だろうな」
「そんな……、ッ」

これだけ体力を消耗しておいて、これからまた何倍もいきむ自信はない。
今ここで失神できそうなくらい鈍っている頭を起こすだけでも精一杯なのに、
これ以上僕にどうしろというのか、状況を恨んだ。

骨盤の辺りが軋むように痛い。
身体はこの大きなものを押し出したがっているのに、
それをかなえる事の出来ない僕自身に一番腹が立つ。

「……イヅキ、ねえ、頼みがある……」
「……何?」
「そこからどうにか、上手く引き出して……」

びく、とイヅキの指が僕の中で弾いた。
それからイヅキは少し間を開けてから、僕の縛り上げられた両手に視線を移す。

そして、膨らんだ腹を舐めるように見て、ようやく僕に目を合わせた。


「俺、手加減とか知らないけど?」

死なない自信は?――イヅキは確かにそう言った。


僕は小さく、首を傾げただけだった。




地獄を見るような激痛だった。

むしろ、「痛み」と言う形容すらちっぽけに思えた。


せめて口を何かで塞ぐべきだったと後悔した時にはもう何もかもが遅く、
僕は与えられるそれになす術もなく身を裂かれた。

どんなに声を殺そうとしても、こればかりは無駄な努力だった。
イヅキの指がどうにか子供の肩を僕の中から引きずり出そうとする力が、
疲れ果てた身体に温かいはずはない。
唇が切れるほど力を込めて抑えた声も、
指が骨と肉化壁を圧する度に悲鳴になって溢れ出た。

つい数十分前まで苛まれていたはずなのに、
羞恥なんて言葉、とうの昔にどこかに置き忘れてしまった気がする。


「いッ……あ、あァ――――……ッッ!!」

先に言われたとおり、イヅキの手は容赦がなかった。
……というよりは、彼は本当に手加減の仕方が分からなかったのかもしれない。
朦朧としていた唯一僕に分かったのは、イヅキがどこか怯えたような表情を浮べていたことだけだ。

それが自分の面している状況に対してなのか、
今にも気が狂いそうな僕の姿に対してなのか、
自分の手が触れているその感触に対してなのか、

それは、――分からない。


「イヅキ……っは、はぁっ、ァ、イヅキ……イヅ……」
「力入れんなよ……締め付けられてやりにくい」
「あ―……あ、イヅキ……ッ」

うわごとのように彼の名前を呼び続けた。
たったひとつ、それだけが僕を現実に繋ぎとめる。
イヅキの手元は、おそらく耐え切れず裂けたのだろうそこからの出血で染まっていた。
目を見張るほど鮮やかな赤なのに、その痛みは感じない。
ほんの僅かな裂傷の痛みなんか、今の自分を蝕むものに比べたら取るに足らなかった。


誰かに見つかったら、なんて不安はもう何の役にも立たない。

一刻も早く解放されたくて、僕はただひたすら叫び、悶え、耐え続けた。




「っはあ……、ああ……はあっ、」

激しく肩を上下させ、どうにか息をする。
酸素が足りないのと出血とで、頭がくらくらした。

「……埒があかねえ」

ぽつりとイヅキが零すのが聞こえ、ごめんねと呟きかけた時、
血にまみれた手が僕の頭上に伸び、締められた両手首をするりと解いた。
あっけないその仕草に、一瞬僕は訳が分からずずるりと柱伝いに床へと倒れこむ。
一気に手の先へと流れてくる血液の感じが痺れに似てひどく不快だった。

見上げれば、イヅキが複雑な顔をして僕を見下ろしている。
疲れ果て、身体はもうほとんど自由が利かない。
イヅキのことだから飽きもすれば僕を放って出て行ってしまうかも知れないとすら思ったのに。

そんな覚悟を粉々にした、イヅキの目。

「……馬鹿じゃねえの。ユキは」
「………ん…」
「こんな事されてまで俺のこと見てるんじゃねえよ。馬鹿」

濃紺の、切れ長の瞳。


「……仕方ないよ」


僕は掠れた声を返す。――少しでも笑えていれば良いのだけれど。
彼がほんの僅かでも、安心してくれるよう。


「僕はイヅキが好きなんだから」


答えになんかなっていないただのうわごとのような、的外れの告白に、
イヅキは一瞬泣きそうな色を浮かべ、それから両腕を伸ばして力ない僕を抱きすくめた。
温かい。
イヅキの腕に抱かれたのは久しぶりだった。

これだけ酷い目に合わされてまだ、彼を好きだなんて確かに馬鹿げている。


「でも嘘は吐けないよ……」


僕は白くなった指先をどうにか伸ばし、イヅキの肩をそっと抱きすくめた。




抱き起こされ、腰を下ろしたイヅキの胸にもたれ掛かる姿勢になると、
それが功を奏したのか滞っていた産道の動きが変わった。
疲労で太股が攣りそうな痛みを抱えている。
腰に重くのしかかる激痛を懸命に堪えながら、僕は力を振り絞る。
抱き寄せ支えてくれるイヅキの腕が頼もしかった。

「ふ、う……ッ、あ、ううん……っ!!」

いくらかほぐれても、まだひっかかった子供の肩は容易には外れない。
自由になった分、どうにか上手い角度を探して腰を動かす。

「うう、い、ッ痛……!!ん……!!」
「ユキ」
「いた……ぁ、はぁ、は……っ、あ――……ッ」


ひときわ強い陣痛が来て、反射的にイヅキの背中に爪を立てた。
喉の奥が熱い。
体がばらばらになりそうな痛みの中で、僕はようやくイヅキの存在を確かめる。

イヅキの不器用な手が僕の髪を撫でた。
髪が汚れようがなんだろうが、どうでも良かった。
ただ彼の手が僕を安堵させる、その現実だけで。


「あ、あぁ――!!っはぁっ、いぁ……っ、出る……っ!」

ぐぐ、と腰に掛かる負担が強まった。
留まっていた塊がようやく壁を押し広げ、ゆっくりと露になる。


僕はイヅキの身体に全て預け、最後の一息を強く強くいきんだ。



そうして、日の暮れ切った体育倉庫の中に、

弱々しくも確かな産声が、響いた。




暫く呆然としたまま、どれだけ時間が経っただろう。

僕は耳の奥に残っているかすかな産声を思い出しながら、
マットの上に横たわったまま取り外された無機質な機械を指先で撫でる。

身体は疲れて力が出ないし、あちこちひどく痛い。
まだ中に「いた」感覚がぼんやり残っていて、
下腹に手の平を当てると思い出せそうな気がした。


少し離れた床に腰を下ろしたイヅキが、紫煙を吐き出す。
白く空気にたゆたう煙は、ぼんやり彼の顔を霞んで見せた。

彼の何がこんなに好きなのか、僕にもよく分からない。

もうだいぶ昔から自覚していた感情だったけど、
それが普通じゃない事も、止められない事も、時を経るにしたがって知って行った。
嘘をつけるほど僕は器用じゃない。
手を上げられても、酷い目に合わされても、それでもイヅキの傍にいたかった。


「……ほんとに」

ゆるり、とイヅキの煙草を持つ手が下がる。
暗い中でほんのり見えるイヅキはもう、僕を傷つけようとしているようには見えなかった。

「産めたら良いんだけど」
「……」
「……なんてね」


誤魔化しても、心の半分は本気だ。
叶わないのだけれど。
あんな思いをしておいてと、イヅキは呆れるかもしれない。

でも、確かにそう思う。

イヅキは床で煙草を押し消すと、静かに近付いてきて、唇を重ねた。
煙の匂いが僕の鼻にも残る。
嗅ぎなれた、イヅキの匂いだ。


「俺だったら二度とゴメンだね。あんな目にあわされるくらいなら」
「……そうかもね」
「それでもユキは、好きなんだな」
「うん……」
「……馬鹿だな、ほんとに」

困ったように笑う、一瞬のイヅキの表情が、僕は一番好きだ。

馬鹿、と繰り返して、イヅキの腕が僕を抱き寄せる。


僕と彼の誰にも秘密の時間は、もう暫くだけ、続いた。



――end
    


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